第21回 中島敦「弟子」

2/11、祝日にもかかわらず(祝日だから?)、8名も参加してくださいました。

しかも、今回は事前に読んでくる課題本あり。

 

しかも中島敦の「弟子」。

 

つまり、難しい。


久しぶりの純日本文学です。

中島敦といえば、「国語の教科書で『山月記』読んだわー。懐かしい」

という方もいらっしゃるのでは。

その有名な「山月記」でも、「李陵」でもなく、「弟子」です。


孔子とその弟子、子路の師弟愛を描いた作品。

 

懐かしいけど、漢文体で難しいと、途中でギブアップした方もいましたが、

わたしも注釈のおかげでなんとか読めるレベルです。

でもね、この漢文体がカッコいいのです。

未読の方はぜひチャレンジしていただきたい!

 

師弟関係にはあり、お互いの良さを尊重し愛していたけれど、

子路の信条は孔子の教えとはついに異なったままだった。特に顕著なのがこの箇所。

 

"だが、これほどの師にもなお触れることを許さぬ胸中の奥所がある。ここばかりは譲れないというぎりぎり結著の所が。すなわち、子路にとって、この世に一つの大事なものがあるそのものの前には死生も論ずるに足りず、いわんや、区々たる利害のごとき、問題にはならない。俠といえばやや軽すぎる。信といい義というと、どうも道学者流で自由な躍動の気に欠ける憾みがある。そんな名前はどうでもいい。子路にとって、それは快感の一種のようなものである。とにかく、それの感じられるものが善きことであり、それの伴わないものが悪しきことだ。極めてはっきりしていて、いまだかつてこれに疑を感じたことがない。孔子の云う仁とはかなり開きがあるのだが、子路は師の教えの中から、この単純な倫理観を補強するようなものばかりを選んで摂り入れる。"

 

ぐっとくる文章です。

 

「もし"あの"タイミングで気づかせることができたら結末は違っていたかも?」、

「いやでも、そんなことで従う子路ではないし、そういう部分を孔子も愛していたのでは?」や、

「あと十数年したら、日本人はこの作品を読めなくなるのではないか?」という話も出ました。

たしかに...今でさえ、読書家のメンバーでさえ手強いですよね...。

 

全然関係ないですが、わたしのパソコンは「しろ」で変換すると

「子路」がちゃんとでてきます。有名な弟子なのですね。

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さて、次回は、2月25日(水)18:30〜21:00

この回のみ時間が変わります。

いつもより課題本を読む時間が30分早まり、18:30〜スタート。19:15ごろから感想をシェアします。終了は21:00です。

お申し込みはこちらから。

 

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